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本堂内阿弥陀三尊

本尊 阿弥陀如来座像 高さ約二メートル 総高約三・七メートル
脇侍 観世音菩薩立像・勢至菩薩立像 高さ約一・六五メートル総高約二・五メートル

貞享三年(1686年)十月十五日  
當山第四世空誉弾阿上人と弟子の空幻明阿上人の合作。
(脇寺胎内安置木牌写)
(表)奉安置相州一之澤中興山居木食 金色観世音菩薩立像五尺 空誉弾阿上人 無常山浄発願寺 拝両刻彫 弟子夢誉空幻和尚(注 明阿上人)

(裏)広幡大納言忠幸卿之君也為二世御安全之 大願御施主寄進 尊聚院殿新誉公空大善法女 于時貞享三丙寅十月十五日
御取次 玉木局 法仙院華誉慶岩大姉

広幡大納言忠幸卿は後奈良院皇子でかつての皇后大夫職 広幡忠隆氏の御先祖です。寛文三年(1663年)十二月二十二日、姓を広幡と賜わり、清華に列せられた。この広幡家が浄発願寺中興の工事を援助されました。

玉木局は尾州徳川三代網誠公の奥女中で浄発願寺へ網誠公の名代として来山されました。

 

東海随一三重塔御本尊 出山釈迦文仏(木像)
當山第四世 相州一之澤無常山 山居木食空誉弾阿上人弟子夢誉空幻和尚(注・當山第七世明阿上人)

貞享三丙寅十月十五日 高さ約二・一メートル 総高二・四メートル

唐金弾誓上人像
尊像刻彫弟子入誉晶空沙門為法恩謝像空誉師受命一刀三札而刻鋳師仰西嶋伊賀守而鋳無常山之 奉納岩堀 也
第三世中興空誉弾阿木食上人代 敬白
(梵字) 法国光明弾誓仏 相州一之澤開山
  貞享三三丙寅五月二十五日

宝篋印塔

建立は元禄五年(1692年)壬申十月十九日四世空誉上人代
奉納者 尾州之大守網誠公(名古屋城主 尾張徳川第三代目)正室螢珠院殿真誉光顔空円大禅定尼の菩提を弔うために奉納されました。塔内には高さ三十六・一センチメートルの銅を打ち伸ばしてつくられた経筒が納められております。
外面は梵字が刻まれ、内部には経文が納められ、さらに螢珠院殿の遺髪が三束納められております。
長さは、二・一メートル一束。一メートル二束。この遺髪を守るように白木の阿弥陀如来の小像一体、地蔵菩薩小像二十一体、いずれも戒名と山居木食上人(空誉弾阿上人)の銘が墨書された小像が納められております。
塔本体は大正十二年九月十五日の山津波により流失してしまいましたが、昭和五庚午年四月廿五日 當山三十一世慈映上人が壇信徒一同の浄財をもって再建しました。
其の時に配られた経文は一切如来心秘密全身舎利寶篋印陀尼経です。
周囲には惣門、鐘楼(貞享二年鋳造、大施主尾張中将源網誠公、新君摂家尊聚院殿、新誉公空大姉)(現在せず)閻魔堂(関東大震災後の大洪水で流失)などがありました。


 

 
             

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