岩屋の供養塔(開山記念塔)慶長拾四己酉卯月吉日(1609年)石像(高さ六十七センチメートル、総高約一・五メートル)
洞内には南無阿弥陀仏の圭頭板碑三基。
設我得仏 不取正覚(大願成就がかなわなければ私は仏にならない)
を始め瑩珠院殿真誉光顔空円大禅定尼 尊儀 尾州網誠公御簾中 新君公御法名(尾張徳川家菩提寺の過去帳に記されている。)
佐竹氏、藤堂氏等々の女子の墓石。無縫塔、念仏塔、庚申塔、地蔵、観音等々が並んでいます。開山弾誓上人は、慶長十八年(1613年)五月二十五日多くの弟子に見守られながら京都古知谷阿弥陀寺にて御歳六十二歳で誠の教を広め入定されました。
弾誓上人が関係ある寺院は約二百三十箇寺、高弟七十人余人、教化人数は二百七十余万人に及んでいると伝えられています。
尊像刻彫弟子入誉晶空沙門為法恩謝像空誉師受命一刀三札而刻鋳師仰西嶋伊賀守而鋳無常山之 奉納岩堀 也
第三世中興空誉弾阿木食上人代 敬白
(梵字) 法国光明弾誓仏 相州一之澤開山
貞享三三丙寅五月二十五日
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